黒滝村の歴史・文化財

黒滝村の歴史

古代~黒滝のはじまり~

修験道との関わりが深い黒滝村は、大峯修験道の開祖とされる役小角が、白鳳6年(西暦不明)に勅命により国家安泰の根本道場を、現在の鳥住地区に開山したことから歴史に刻まれ始めます。吉野が歴史の舞台に登場する時代(壬申の乱・672年)には、聖なる神々の風土として知られていたと考えられます。このように先史の時代から黒滝の地は修験の場であり、吉野の山の発達とともに文化の波及を受けていました。

中世~黒滝郷の成立~

南北朝の動乱の最中、黒滝郷の村々は変貌を強いられ、古代以来続いていた同族的集団から郷村的組織へと変化しました。吉野最大ともいえる伝統行事「花供法会式」を始めたとされる高算上人は槙尾の地に滝金寺を開きました。やがて、林業の隆盛で江戸幕府の直轄支配を受けるようになる頃には、黒滝郷として黒滝村の前身ともいえる地域コミュニティが確立されるようになりました。

近世~林業の隆盛~

南北朝時代から室町時代にかけての2世紀の間、桧物や曽木板といった林産物が商品化され、黒滝郷も産地の一つになっていました。とくに林業は、江戸時代初期の慶安年間(1648 1652)に植林され、川上郷と並んで吉野林業の発展を導きました。黒滝川を利用した筏組みによる運搬が発展の大きな要因です。また、筏夫や樽丸師などの専門職の発達と普及を促し、材木業者を商人として自立させたのでした。

近代~南芳野村から黒滝村へ~

明治22年(1889)に施行された市町村制によって、黒滝郷と丹生郷が一つになり、南芳野村が成立しました。その後、「十津川の大水災」や日清・日露戦争、国による財政計画などの紆余曲折を経ていく中、南芳野村を構成する財政面などの問題を解決すべく分村が協議されました。やがて明治45年(1912)7月1日に黒滝村として独立。念願だった分村が実現し、村政が始まりました。

文化財

村には、私たちの祖先が生活の中で作りだしたもの、残してくれたものなど貴重な文化財がたくさんあります。
その中で国、県、村指定文化財があり、その保存や保護に努めています。

名称所在地備考
大峯奥駈道槙尾~赤滝世界遺産登録
理源大師廟塔鳥住重要文化財
役場旧庁舎粟飯谷(黒滝森物語村内)県指定文化財
樽丸製作用具粟飯谷(黒滝森物語村内 役場旧庁舎内民俗資料館)県指定文化財
木造地蔵菩薩立像槙尾 滝光寺村指定文化財
木造阿弥陀如来坐像中戸 大日堂村指定文化財
木造菩薩頭粟飯谷 正西寺村指定文化財
木造理源大師倚像鳥住 鳳閣寺村指定文化財
木造日蔵上人倚像鳥住 鳳閣寺村指定文化財

理源大師廟塔(重要文化財)

所在地:鳥住

説明:花崗岩造りの極めて精巧な宝塔形の石塔で、国の重要文化財に指定されています。正面台座の亀の浮き彫りに正平24年(1369)の刻銘があります。

【鳥栖山と餅飯殿】
むかし、金峯山の阿古の滝に大蛇が棲み、大峯行者に危害を加えた。
聖宝理源大師は勅命を受けて、この大蛇を退治するため、鳥栖山に登った。
当時奈良にいた勇武のきこえ高い先達、箱屋勘兵衛を供につれて、先ず、ホラガ淵でみそぎをなし、鳥栖山に登ってホラ貝を吹きならした。
その音は、百のホラ貝を吹き鳴らすように山々に響いたので、鳥栖山を百螺岳と呼ぶようになった。
阿古滝の大蛇は、この響きにさそわれてこの山に向かってきたので、大師は法力をもって呪縛し、勘兵衛は大鉞をふるって大蛇を斬りつけた。
それ以後、大峯の行者道は再びひらかれた。
その後も、箱屋勘兵衛は奈良からたびたび大師のいる鳥栖へ参上したが、そのたびに、大師の好物である餅飯を持参したという。
大師は勘兵衛のことを「餅飯殿」とたわむれに愛称された。それから、勘兵衛の住んでいる奈良の町がいつしか餅飯殿町と呼ばれるようになった。(前 登志夫)

鳳閣寺

鳳閣寺

所在地:鳥住

説明:678年(弘文7)、修験道の開祖である役行者が勅命により、国家安泰の祈願する道場として開山したのに始まります。その後、修験道中興の祖といわれる聖宝理源大師によって895年(寛平7)に建立されたと伝わります。

【百貝岳】
百貝岳からホラ貝を吹くと、100個のホラ貝を吹いたようにこだまするところから、百の貝と書いて百貝岳といういわれがあります。

役場旧庁舎(県指定文化財)

役場旧庁舎

所在地:粟飯谷(森物語村内)

説明:明治の末、山あいの地に西洋風のモダンな建物が総工費8,000円で建てられました。その斬新さは人々を鼓舞し、村民の誇り、村のシンボルとして親しまれ、70年近く使われ続けました。現在は民俗資料館やイベントホールとして、利用されています。

樽丸製作用具(県指定文化財)

樽丸とは、酒樽の原料である杉の板を丸めて束ねたものです。吉野の樽丸は、享保年間(1716~1736)に和泉国(大阪府南西部)堺港の職人衆が、芸州(広島県西部)の職人を連れて、吉野郡黒滝郷鳥住村(黒滝村大字鳥住)に来住し、この地で樽丸を製造したのがはじまりで、以降、黒滝村を中心に吉野郡でも盛んになりました。

所在地:粟飯谷(森物語村:役場旧庁舎内民俗資料館)

高算堂

高算堂

所在地:槙尾

説明:この辺りを治めていた同寺の開祖、高算上人像と木造彩色の蔵王権現が祀られています。また、山門を出たところには小さなほこらがあり、ここには上人が念持仏として祀っていたといわれる地蔵菩薩立像が祀られています。

このページの内容に関するお問い合わせ先

黒滝村役場 企画政策課
〒638-0292 奈良県吉野郡黒滝村大字寺戸77番地
TEL:0747-62-2031 FAX:0747-62-2569

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