文字サイズ

  • 標準
  • 特大

色変更

  • 標準

文化財

黒滝村の歴史

大峯修験道により開かれた
吉野山の南に位置する黒滝村は、修験道との関わりが深く、大峯山修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)が、白鳳六年(672)に勅命により国家安泰の祈願道場として開山したことに始まります。その後、修験道中興の祖理源大師聖宝が寛平七年(895)に鳳閣寺を開き、修験の拠点としました。
また、吉野最大ともいえる伝統行事「花供法会式」を始めたとされる高算上人は槙尾の地に滝金寺を開きました。やがて、林業の隆盛で江戸幕府の直轄支配を受けるようになる頃には、黒滝郷として黒滝村の前身ともいえる地域コミュニティが確立されるようになりました。
その後、明治政府が誕生し、町村制が公布された明治22年には黒滝郷は丹生郷と合併して南芳野村として発足します。
しかし、当時の社会資本からみて村として経営するには難関となる事項が多く、再三の政府への働きかけにより、分村が認められ、明治45年に黒滝村が誕生しました。その後、昭和24年の境界変更を経て、現在に至っています。

文化財

村には、私たちの祖先が生活の中で作りだしたもの、残してくれたものなど貴重な文化財がたくさんあります。
その中で国、県、村指定文化財があり、その保存や保護に努めております。

名称 所在地 備考
大峯奥駈道 槙尾~赤滝 世界遺産登録
理源大師廟塔 鳥住 重要文化財
役場旧庁舎 粟飯谷
森物語村内
県指定文化財
樽丸製作用具

粟飯谷
役場旧庁舎内
民俗資料館

県指定文化財
木造地蔵菩薩立像 槙尾滝光寺 村指定文化財
木造阿弥陀如来坐像 中戸大日堂
木造菩薩頭 粟飯谷正西寺
木造理源大師倚像 鳥住鳳閣寺
木造日蔵上人倚像 鳥住鳳閣寺

理源大師廟塔(重要文化財)

理源大師廟塔

所在地:鳥住

説明:花崗岩造りの極めて精巧な宝塔形の石塔で、国の重要文化財に指定されています。正面台座の亀の浮き彫りに正平24年(1369)の刻銘があります。

【鳥栖山と餅飯殿】
むかし、金峯山の阿古の滝に大蛇が棲み、大峯行者に危害を加えた。
聖宝理源大師は勅命を受けて、この大蛇を退治するため、鳥栖山に登った。
当時奈良にいた勇武のきこえ高い先達、箱屋勘兵衛を供につれて、先ず、ホラガ淵でみそぎをなし、鳥栖山に登ってホラ貝を吹きならした。
その音は、百のホラ貝を吹き鳴らすように山々に響いたので、鳥栖山を百螺岳と呼ぶようになった。
阿古滝の大蛇は、この響きにさそわれてこの山に向かってきたので、大師は法力をもって呪縛し、勘兵衛は大鉞をふるって大蛇を斬りつけた。
それ以後、大峯の行者道は再びひらかれた。
その後も、箱屋勘兵衛は奈良からたびたび大師のいる鳥栖へ参上したが、そのたびに、大師の好物である餅飯を持参したという。
大師は勘兵衛のことを「餅飯殿」とたわむれに愛称された。それから、勘兵衛の住んでいる奈良の町がいつしか餅飯殿町と呼ばれるようになった。(前 登志夫)

鳳閣寺

鳳閣寺

所在地:鳥住

説明:678年(弘文7)、修験道の開祖である役行者が勅命により、国家安泰の祈願する道場として開山したのに始まります。その後、修験道中興の祖といわれる聖宝理源大師によって895年(寛平7)に建立されたと伝わります。

【百貝岳】
百貝岳からホラ貝を吹くと、100個のホラ貝を吹いたようにこだまするところから、百の貝と書いて百貝岳といういわれがあります。

役場旧庁舎(県指定文化財)

役場旧庁舎

所在地:粟飯谷(森物語村内)

説明:明治の末、山あいの地に西洋風のモダンな建物が総工費8,000円で建てられました。その斬新さは人々を鼓舞し、村民の誇り、村のシンボルとして親しまれ、70年ちかく使われつづけました。現在は民俗資料館として利用されています。

樽丸製作用具(県指定文化財)

樽丸とは、酒樽の原料である杉の板を丸めて束ねたものです。吉野の樽丸は、享保年間(1716~1736)に和泉国(大阪府南西部)堺港の職人衆が、芸州(広島県西部)の職人を連れて、吉野郡黒滝郷鳥住村(黒滝村大字鳥住)に来住し、この地で樽丸を製造したのがはじまりで、以降、黒滝村を中心に吉野郡でも盛んになりました。

 

所在地:粟飯谷(森物語村:役場旧庁舎内民俗資料館)

高算堂

高算堂

所在地:槙尾

説明:この辺りを治めていた同寺の開祖、高算上人像と木造彩色の蔵王権現が祀られています。また、山門を出たところには小さなほこらがあり、ここには上人が念持仏として祀っていたといわれる地蔵菩薩立像が祀られています。

このページの内容に関するお問い合わせ先

黒滝村 教育委員会
お問い合わせフォーム