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黒滝村の紹介

位置

本村は奈良県のほぼ中央に位置し、「奈良のへそ」と呼ばれており、北は桜の名所である吉野山、東は大台山系が連なる川上村、西は下市町及びに五條市、南は大峰山系のふもと天川村に境を接し、平均標高490m、東西12km、南北10km、面積は47.70k㎡の渓谷型山村です。
村域の97%が林野で河川沿いのわずかな平地や山麗斜面に民家が点在し、12ヵ大字の集落を形成しています。

【赤滝地区の集落の様子】

 

【鳥住地区の集落の様子】

地形

北は標高863mの百貝岳、東は世界遺産「吉野大峰奥駆道」が通る1,235mの四寸岩山、1,439mの大天井岳、南は1,053mの扇形山を中心として山波が連なっています。
大天井岳に源を発した黒滝川が本村の中央部を東西に横断し、四寸岩山より流れでた脇川と合流して西に流れ、さらに笠木川と合流して紀の川に注いでいます。

歴史

【鳳閣寺】

吉野山の南に位置する黒滝村は、修験道との関わりが深く、大峯山修験道の開祖とされる役行者が、白鳳六年(672)に勅命により国家安泰の祈願道場として開山したことに始まります。
その後、修験道中興の祖理源大師聖宝が寛平七年(895)に鳳閣寺を開き、修験の拠点としました。
また、吉野最大ともいえる伝統行事「花供法会式」を始めたとされる高算上人は槙尾の地に滝金寺を開きました。
やがて、林業の隆盛で江戸幕府の直轄支配を受けるようになる頃には、黒滝郷として黒滝村の前身ともいえる地域コミュニティが確立されるようになりました。
 その後、明治政府が誕生し、町村制が公布された明治22年には黒滝郷は丹生郷と合併して南芳野村として発足します。
 しかし、当時の社会資本からみて村として経営するには難関となる事項が多く、再三の政府への働きかけにより、分村が認められ、明治45年に黒滝村が誕生しました。
その後、昭和24年の境界変更を経て、現在に至っています。

村章

色は深緑で、深い山の連なりが林業にふさわしく、その無限の広がりを表しています。
また、周りを囲う円は友愛に結ばれる村民の和を示し、伸びゆく黒滝村を象徴しています。
 

黒滝村民憲章

わたくしたちは、黒滝村のよさを活かし、先人の努力に学び、知恵と心を結集し、明るく豊かで活力ある村づくりをめざしてこの憲章を制定します。

一 豊かな自然をまもり、より住み良い生活環境づくりに努め、うるおいとやすらぎのある村をつくりましよう。

一 互いの人権を尊重しあい、やさしさとあたたかさにみちた村をつくりましよう。
一 郷土の文化遺産を大切にし、若い力をはぐくみ、生涯学習のふくらむ村をつくりましよう。
一 勤労を尊び、産業の振興に努め、未来を拓く活力ある村をつくりましよう。
一 長寿のよろこびをみんなで支え、健康で生きがいのもてる福祉の村をつくりましよう。

このページの内容に関するお問い合わせ先

黒滝村役場 総務課
〒638-0292 奈良県吉野郡黒滝村大字寺戸77番地
TEL:0747-62-2031 FAX:0747-62-2569
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